ような気がした

この文章の大半には、「ような気がする/した」をつけるべきであろうとは思います

 

私の作品は、とても賞味期限が短い

描き終わった瞬間、すでに過去のものとなってしまうのであった

二つ前に描いた絵とか、めちゃくちゃ古い

 

今回の個展で額に入れて展示したのは、「喋ってる絵」たちでした

 

もちろん絵は物理的に声を発して喋るわけではないので、全ては完全に作者の主観なわけですが

喋っていない絵たちは、額に入れて展示するのは違うなと思っていました

 

個展に向けて制作した作品が、初期のものなんてどんどん古くなっていくわけです

2017年の作品がありましたが、奇跡に近いと思います

お前!まだよく喋ってくれてるな!すげえなお前!

 

例えば

個展が近づき宣伝に身を入れ始めたタイミングで

歳が近い知り合いが 自ら虹の橋を渡ってしまった

 

途端、ぱったりと絵が話してくれなくなった

「基本的には私もオマエもいつか死ぬねんで」を描いているにも関わらずです

 

展示するつもりなのにまったく喋らなくなった絵の群れに囲まれ過ごす数日間は、苦痛と恐怖しか感じませんでした

 

さまざまなことを考えているうちに、ポツリポツリとまた絵が喋り始めたので

一人暮らしの部屋で絵を、梱包し、会場に持っていきました

 

もう一度絵と対面したときに、

まったく絵が話してくれなかったらどうしよう

ということを一番恐れていたのであった

 

けれども、私の絵たちは私よりも話し上手でいてくれました

少なくともあの3日間は

 

基本的には私もオマエもいつか死ぬねんで

わかっているようでわかっていないのです、きっと

決して抗えないし、でもうまく言葉にはできないし、いつまでたっても胸を突くから描くんだよな

 

 

終わり