ARTs maru art 参加中!

2年ぶりの展示のお知らせです。

ただいま会期中なのですが、5月23日(日)まで、大阪府泉大津市のアトリエスバル様にて、ARTs maru art (あつまらーと)に参加しております!

ペン画1点出展しています。

ジャンルもスタイルも様々なアートが盛り沢山です。

 

新型コロナウイルス感染拡大にともなう緊急事態宣言中で個人にお声がけすることは控えておりますが、少しでも多くの方に見ていただけると嬉しいです。

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ARTs maru art

 

血となり果てるまで

「音楽を聴く」よりも「音楽を流し込む」と表現するほうがしっくりくる。


自分の頭からつま先まですべてがその曲で満たされて、体内をぐるぐると循環しはじめ、そのことがまったく気にならなくなるまでー普段、身体中を血液が循環しているのと同じように、ほぼひたすら、決まった曲を聴く。


なにひとつ乱されず、その音楽がどんなリズムであっても自らの鼓動と一体となるまで、身体に流し込み続けている。

 

…そんな音楽の聴き方をするようになったのは最近のこと。

 

もちろんプレイリストをランダム再生して聴く日も時々あるけれど、決まってハメを外しているような気分になる。以前はそういうふうに感じることなんてなかったのに。

 

今の自分にとって、音楽を聴くのは、心を横たえるための行為なのかもしれない。

 

吸う、吸う、吐く

小学生の頃、12月に毎年マラソン大会があった

長距離走のときのあの呼吸法

 

吸う、吸う、吐く

 

吸う、吸う、吐く

 

例に漏れず自分もこの呼吸法で

 

吸う、吸う、吐く

 

吸う、吸う、吐く

 

2.4キロを走り切るまでリズムを崩さずに

 

吸う、吸う、吐く

 

特に意識せずとも簡単にできていたな

 

今は呼吸することが苦手だ

あまりにも苦手だからここに書き留めようと思う

 

あるとき自分の部屋でヨガをやってみようと思いつく

体が柔らかいほうなのでポーズは難なく取れるけれど、

腕を上げながら大きく息を吸って〜、元に戻しながら吐いて〜

全くアナウンスについていけない

 

またあるとき自分の部屋で瞑想をしてみようと思いつき、ガイドオーディオを流す

呼吸の方法をいくら穏やかな口調で指示されてもこわばってしまう

そもそも雑念を追い払うはずが瞑想中に呼吸のことをずっと考えるのだから

まだプールに浮かんだりしているほうが何も考えなくて良さそうだ

 

健康診断でレントゲンを撮る

指示通りに大きく息を吸って吐くだけだ

だけど他の人に指示される形式だとだめなのだ、と思う

 

とっさに相手の言葉の上に飛び移ることができないから

このことについてはいつか時間を見つけて書きたい

 

おわり

読んだ本を覚えていない

本を読むことは好きだが、読んだ本を覚えていない

 

手元にある本はもちろん読んだんでしょうね、ということになるが

残念ながら内容は詳しく思い出せない

 

絵本なら読み返すことも簡単だけれど、小説になるとそうもいかない

 家にある本たちに関して、確実にわかるのは読んだか読んでないかの事実だけだ

 

図書館で借りて読むことの方が圧倒的に多い

ハードカバーの本を、表紙のデザインがカワイイという理由で借りてきて、読む

数ヶ月後に同じ本が文庫本として並べられていたら、読んだことなんてすっかり忘れてまた借りてきてしまうだろう

 

つい先日も、伊坂幸太郎の『バイバイ、ブラックバード』を借りてきたが、あなた以前にこの本を読んで登録してますよと読書記録アプリが教えてくれた

 

実写化もされていたよ、大女役は俳優の誰々でさ

と言われてようやく大女が登場する物語を読んだことを思い出した

実写化された作品は観ていないけれど、実写化されますよというニュースを目にしたことも思い出した

 

思い出したような気でいるけれど、小説の内容は一切記憶の底から現れ出ていないのだから、思い出していないのと同じだ

 

終わり

海のキリン

「ほらあそこ、たくさんキリンが居るよ」

 


別に、キリンを見に来たわけではなかった

 


ドライブの途中で神戸の海沿いに車を停めて、すぐそばでもなくはるか遠いわけでもない対岸を指差しながら父が言った

 


わたしは小学生だったが、何年生だったのかは覚えていない

7つ離れた弟は生まれていたかしら?

 


その日は休日だったが、父が海沿いに車を停めたのは、そこまで車を走らせることが目的だったのか、それともどこか別の場所で楽しんだ帰り道だったのか

 


くわしいことは思い出せないが、その日は決して、キリンを見に行ったわけではなかったのだ

 


しかし父にそう言われたわたしは、必死にキリンを探した

対岸には、キリンを運ぶのに手頃そうな貨物船やコンテナがたくさん積み上げられている

 


結局キリンは見つけられなかった

わたしはガッカリした

こんなに年月が流れても未だに覚えているのだから、そのときは本当にガッカリしたのだと思う

 


しかしかなりあとになってから、それこそ高校生になってようやく、父が言っていた「キリン」は、貿易船からコンテナを吊り下ろすためのクレーンのことだったのだと気がついた

 


なんだ、キリンはたくさん居たじゃないか

父はこの出来事を覚えているだろうか

 


将来自分の子供にも同じことを言うのだろうな、と思う

そして父と同じように、答えは教えてあげないのだろうな、と思う

指先に咲く

特定のものに対する感覚が偏っている方だと思います

 

触覚に関して、

些細な動作ですら普通の人よりも指先が痛いらしい

「らしい」というのは、私は自分以外の人間に成り代わったことがないからです

自分以外の人間との対話に基づき、おそらくそうであるらしいという結論に至りました

 

昔、ミュージシャンが独占インタビューなんかで「この曲は(過去自分が経験した精神的苦しみなどの)痛みを表現している」と話しているのを読むと、「そりゃそうだ、ギターの弦押さえて弾くのがまずめちゃくちゃ痛いしな」などと思っていた

 

中学生の時分、一瞬ソフトボール部に所属していましたが

「こんな苦しい思いしてやらなきゃいけないのか」と思っていたのは

何十本の全力ダッシュではなく普通のキャッチボールでありバッティング練習でした

「みんな痛い思いしてやってるし」と思っていたのですが、きっと他のみんなは、そんなに痛いとは思っていなかったんだろうなあ

上手ではなかったのでポジションはあまりボールが飛んでこないレフトでした

うっかりキャッチャーなんかなってたらどうなっていたのだろう

 

とまあ、気付くまでは色々な解釈違いを起こしていたのでした

 

例えば机を指先でトントンしているときは少し痛い

雑巾絞りはかなり痛い

弦楽器、本気のキャッチボール、ハイタッチ、握手、拍手は相当痛い

ガッタガタの道を走る車に乗っているとき、私はお尻よりも指先が痛いのです

何かしているときは大抵、こいつは指先が痛いのです

別に自分の指先が吹っ飛んでいかないことは知っているので、楽器の演奏もハイタッチも握手も拍手も普通にします

 

普段は痛くても大して気にしないのだけど、体調が悪かったりすると痛みがいちいちきになる時があります

そんなときは、痛むたびに花が一つ咲くことを想像します

キーボード叩いていたりすると、たくさん花が咲いて楽しいですよ

 

 

おわり

展示のお知らせです

次の展示のお知らせです

peddy pot様企画のCROSS OVER vol.19に参加させていただきます!

作品が国境をこえ台湾にて展示されます

楽しみです

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Japanese alternative artist group

CROSS OVER Vol.19

Taiwan,Taipei

台北市松山區復興北路201號4樓

16-20, 23-24th, Sep, 2019 (7days)

9:00 - 18:00

CROWN BUSINESS CENTER : http://cbcspace.com/store/display/3

 

ちなみにアルファベット表記の際の苗字のOの数は気まぐれではありません

これについてはそのうち書くかも